屈強な男がか弱き女を手籠めにしていくのが本来の不貞のイメージだが、時代は変わる。肉食系の女たちは、魔性というコロンを華やかに振り撒きながら、男たちを落としていく。
荻野目慶子は90年に、自身のマンションで不貞関係にあった映画監督が首を吊り自死するというショッキングな経験をしている。
ようやく女優業に復帰したのが91年公開の「いつかギラギラする日」だったのだが、監督の深作欣二と再び不倫という関係になり、深作が没するまで9年半も続いた。
晩年の深作は前立腺ガンに侵されていたが、それでも抗ガン剤治療を拒否。その理由を、荻野目が02年に出した著書「女優の夜」で綴っている。
〈抗ガン剤を使えば男性機能が弱くなる。僕は命よりもキミとの性を選んだ〉
もともと荻野目は、レイプされる形で深作監督との関係が始まったという。そして著書の発売から数カ月後に深作は帰らぬ人となった。その臨終には、深作の夫人である女優・中原早苗が、荻野目の立ち会いを頑なに拒んでいる‥‥。
斉藤由貴もまた、90年代に数々の不倫を経験した。91年には尾崎豊との不倫旅行をスクープされ、斉藤は「同志のような関係」と弁明したもののイメージダウンは莫大だった。
尾崎は翌92年に突然死するが、93年には川崎麻世との不倫が発覚。
「前の人とのことがあったにも関わらず、学ばない人間なんだなと自分のことが悲しいです」
斉藤は反省の弁を口にしたが、尾崎も川崎も「結婚3年目で子供が生まれたばかり」という不思議な共通項があった。
斉藤は純潔であることを求められるモルモン教徒だが、その厳しさに対する反発があったのかもしれないとの声もあった。
そんな斉藤に対し、川崎の妻であるカイヤの行動は取材陣を驚かせた。会見場に夫を堂々と先導し、おそろいのジーンズ、Tシャツ、ブーツというペアルック。さらに会見が始まれば腕組みをして、仁王立ちで夫をにらみつける。カイヤ自身が芸能界にはばたいた瞬間でもあった。
布袋寅泰の妻である今井美樹は、そのなれそめが略奪であったことは広く知られた事実。布袋の最初の妻である山下久美子は、後に自叙伝でいくつもの事実をつまびらかにしている。
〈もともと山下と今井は親友だった。やがて、夫婦の家に今井がたびたび遊びに来るようになった〉
〈山下は布袋に愛人ができたのではと今井に相談した。今井の答えは『心の中に広がった思いは止められない』だったが、実はこの時点で今井とデキていた〉
〈郵便ポストに離婚届を投函された〉
そして極めつけは、この時期に布袋が作詞作曲して今井に歌わせた大ヒット曲「PRIDE」の歌詞が「あなたへの愛こそが私のプライド」だったこと。山下にとってみれば、背筋が凍るような1曲だったのではなかろうか。
ちなみに布袋は、後にやはり魔性の女と呼ばれる高岡早紀と濃厚なキス現場を撮られたことも忘れがたい出来事だ。
山本モナの数々の武勇伝もまた、肉食系アナの名に恥じない。06年10月に細野豪志議員との路上キス不倫が発覚すると、わずか5日間で「ニュース23」(TBS系)を降板。
その2年後の08年7月、再起したモナは「サキヨミ!」(フジテレビ系)のメーンキャスターになり、「不倫のようなことは二度としません」と宣言した。ところが、1回目の生放送を終えた夜に、巨人・二岡智宏選手と「五反田のお泊まり9800円ラブホテル」に入ったところを女性誌がスクープ撮。わずか1回のみの出演で番組を降板する羽目になった。
最後は、16年の参院選で初当選を果たした石井苗子である。キャスターとして売れっ子だった99年、突如として石井の「若き日の全裸ヘアヌード写真」が女性誌に掲載された。さらに、石井は夫も子もいる身でありながら、17歳年下の独身男性との不倫同棲まで浮上したのだ。
「その男性が石井にファンレターを送ったことがきっかけで同棲したというのだから、芸能界では実に珍しいケース」(ワイドショースタッフ)
やがて石井はテレビの世界から遠ざかり、政界へと進出することになる。