若手のイメージが強いKis-My-Ft2だが、苦労人が多く、藤ヶ谷太輔にいたってはジャニーズ入所から歌手デビューまでおよそ13年もかかっている。SMAP時代の中居正広がプロデュースしたことによって、ようやく日の目を見た「舞祭組」の宮田俊哉、横尾渉、二階堂高嗣も苦節10年を経験。最年少でキャリアが浅い千賀健永でさえ、8年間もくすぶっていた。
ジャニーズJr.時代、“ふじきた”の愛称で大人気だったのは藤ヶ谷と北山宏光。対して目立たない存在だったのは宮田、横尾、二階堂、千賀だった。ジャニーズ事情に詳しい女性週刊誌の記者は言う。
「コンサートの控室で年少組はいいように弄ばれていたみたいです。4人を床に寝かせて、その上を衣服を何も身に着けずローラーシューズだけを履いた玉森裕太がジャンプ。怖がる4人と跳ねる玉森を見て、藤ヶ谷とA.B.C-Zの河合郁人は爆笑していたそう。イジメとも取れますが、本人たちに言わせると、イジリなのだとか」
大のアニメ好きで幼いころから学校で浮いた存在だったという宮田は、今でもイジられ役。マッパでダルマ落としのダルマ役を命じられたこともあった。1段ずつ落ちていき、バランスを崩さずに座布団の上に座っていられたら、服を着てもいいというルールだったという。
「Jr.はとかく、マッパが好き(笑)。バックダンサーだったころに北海道を訪れた際、千賀は身ぐるみ剥がされて、楽屋から外に放り出されています。外は雪が降っていたため極寒。ブルブル震える姿を、開場待ちのファンに見られたそうです。まだ駆けだしJr.のため、顔も名前も知られていませんでしたが」(前出・女性週刊誌記者)
指令を出すのは、だいたい藤ヶ谷。そんな思い出話は今ではライブのMCの定番になっている。だが、当時はマジ泣きしていたJr.がいたとしても不思議はないだろう。
(北村ともこ)