ついに活動を休止した嵐。リーダーの大野智は芸能活動を休止し、残りの4人はこれまで通り個人での活動を続ける。今回の活動休止は「普通の生活を送りたい」と願ったリーダー・大野智の意向をメンバーが汲んだものだ。
そもそも大野が退社を口にするのは、今回が初めてではない。ジャニーズJr.だった大野は、高校入学直後に中退。するとジャニー喜多川社長(当時)は、京都で新たに開幕するミュージカル「KYO TO KYO」にメインで出演することを強引に決めた。強制的に京都移住。およそ2年間のロング公演を終えて帰京したあと、大野は燃え尽き症候群となり、退所を決意。ジャニー氏にその旨を伝えたが、はぐらされ続け、気づけば3年の月日が流れていた。そして、嵐デビューの99年を迎えた。
この時、共に退所の意思を固めていたのが櫻井翔と二宮和也だ。アイドル誌の編集者が言う。
「ニノは入所3年後に違う夢を見つけてしまい、Jr.だった99年の正月にジャニーさんに『辞めます』と伝えています。『裏方、監督、舞台の演出家をやってみたいので、応援してもらえませんか?』とお願いして、『わかった』との言葉をもらっています」
ジャニー氏から手渡しでお年玉をもらったその場で、退所の意向を伝えた16歳の二宮。本人は、99年12月31日で辞められると思い込んでいた。同年の9月、二宮はジャニー氏から「最後にハワイに行こう」と誘われた。現地に到着すると、嵐のデビュー記者会見が開かれた。“ジャニーさん詐欺”だった。
「デビュー決定後、ジャニーさんに『デビューをやめてほしい』とお願いしに行ったのがニノと櫻井。櫻井は慶應義塾大学に進学するタイミングでもあったので、これを機にアイドルを卒業しようと考えたのです。でも、アポなしでジャニーさん宅に行ったので本人は不在。ファクス用紙に『新グループ名は嵐』と書かれているのを見て、2人は『終わった…』とがく然としたそうです」(前出・アイドル誌編集者)
嵐がスタートしたとき、メンバー5人のうち3人が辞めようとしていた。グループ名には「?(クエスチョンズ)」「Five」「曙」「ABC」などが候補に挙がっており、「嵐」に決定したときは5人がそろって肩を落としたという。
そんな奇跡の5人組が、文字通り日本中で嵐を巻き起こしておよそ20年。2021年以降、金看板を下ろす大野、二宮、櫻井、松本潤、相葉雅紀はいったい何を描いていくのか。
(北村ともこ)