ジャニーズタレントの歴史をひも解くうえで欠かせないキーマンは多い。そのひとりに、ヒロミがいる。およそ23年前、ジャニーズJr.のリーダーだった滝沢秀明(現・ジャニーズ事務所副社長)を中心に、山下智久や生田斗真、のちに嵐、関ジャニ∞となる面々がゴールデンタイムで初レギュラーを務めた伝説のバラエティ番組「8時だJ」(テレビ朝日系)で司会を務めた“兄貴”だ。
それぞれが出世したあとも、一部の出演者とは交流が続いた。同じ東京都八王子市出身の滝沢とは、「有吉ゼミ」(日本テレビ系)で“八王子リフォーム”を結成。棟梁(ヒロミ)と弟子(滝沢)の師弟関係は、滝沢が芸能界を引退する18年末まで続いた。
滝沢が去ったあと、2代目弟子として19年5月からそのポストに収まったのは、SixTONESのジェシー。現在は、「正社員」の肩書きに昇格した。この2人のやり取りをテレビで観て怒ったのが中居正広だ。
中居はヒロミに「なんすか、あれ。何やってんすか。ジェシーが『ちーす』とかやって、普通、怒るでしょ」と訴えたという。ヒロミは「怒らないよ」と冷静に返したそうだが、中居は「それだったら俺たち(の時代)は一体なんだったんだーっ」と悔しそうにあきれたという。
ヒロミは80年代、コントトリオ「B21スペシャル」として活動していた。アイドル的人気を博し、誰に対しても生意気で、媚を売らず、イケイケでも許された時代。やんちゃ坊主がそのまま大きくなったような存在だったヒロミは、後輩芸人やタレントから恐れられた。SMAPとして駆け出しの新人だった中居は、気安く話しかけることなどできなかった。
ところが、24歳のジェシーは“暴君ヒロミ”を知らない。「ヒロミさーん!」と無邪気に話しかけ、友だち感覚で「うぇーい!」とふざける。ヒロミも、息子の小園凌央と同世代のジェシーを叱ることはしない。
「新旧ジャニーズの歴史を知ることとなったヒロミの元には、多くのファンレターが届くそうです。『中居くんによろしく』『滝沢くんによろしく』『○○君を頼みます』など、推しジャニを応援する内容のものばかりだとか」(芸能関係者)
気づけば、10代から40代までのジャニーズタレントを網羅しているヒロミ。今後もますます“棟梁”のファンは拡充しそうだ。
(北村ともこ)