嵐の二宮和也が昨年4月に開設したYouTubeチャンネル「ジャにのちゃんねる」が、今年1月に登録者数300万人を突破した。二宮は公称「代表」で、構成・経理も兼務。同士として最初にスカウトしたのは、KAT-TUNの中丸雄一だった。
中丸は98年にジャニーズ事務所に入所したため、今年でジャニーズ歴25年目に突入。KAT-TUNは昨年がデビュー15周年のアニバーサリーだった。楽曲をリリースしているジャニーズグループでは、今年が25周年記念で最年長のKinKi Kids(97年)を筆頭に、NEWS(03年)、関ジャニ∞(04年)に続く古参となった。
中丸が入所した翌99年、嵐が5人でデビュー。その年の9月、ハワイ・ホノルル沖の船上で豪華なデビュー発表記者会見を開いた。この会見の下見をするため、ジャニー喜多川元社長は事前にハワイを訪れている。ロケハンに帯同したのが、ジャニーズJr.のなかでもペーペーだった中丸だ。
「なぜ中丸だったのか、今もって不明。しかし、嵐は最初、二宮と櫻井翔、松本潤の3人でデビューする予定だったと言われています。その証拠に、3人は会見直前の99年8月、アメリカのロサンゼルスに連れて行ってもらっています。ジャニーさんの頭のなかでは、4人目の候補が中丸だったのかもしれません」(アイドル誌ライター)
櫻井はデビュー会見の直前まで、嵐は3人と聞いていたという。ところが、ハワイに着くと5人に。大野智はハワイに発つ1週間前、相葉雅紀にいたってはパスポートを持っていたという理由だけで3日前に渡航が決まっている。この残り2枠が、中丸であった可能性もゼロではない。
「二宮と相葉はジュニア時代、とても仲が良かった。ジャニーさんが二宮に、『YOU、相葉とずっと一緒にやっているのに、(嵐に)入れてあげなきゃかわいそうじゃん』と話したほど。もちろん、ジュニアが新グループのメンバーを決められるはずなどないのですが」(前出・アイドル誌ライター)
当時、嵐の候補には関ジャニ∞の村上信五、生田斗真も挙がっていたと言われた。結果として、村上はフジテレビ系「北京2022オリンピック」メインキャスターを続投するほど、司会者としての腕が確か。生田は、主演の舞台や映画が事務所でトップクラス。さらに、中丸は11年から日本テレビ系日曜朝のニュース・情報番組「シューイチ」のレギュラーコメンテーター。日曜の日テレ朝の顔と言っても過言ではない。
嵐予備軍だったのかもしれないが、中丸は自分のチカラで立ち位置をちゃんと見つけたのだ。
(北村ともこ)