ジャニーズグループの“長兄”となったTOKIO(国分太一、城島茂、松岡昌宏)。先輩には東山紀之、内海光司、佐藤アツヒロがいるが、デビュー時からグループの名前を保っているのはTOKIOだけだ。
94年にCDデビューして、グループキャリアはおよそ28年。3人のビジネスバランスは実によく、ソロでも地上波、ラジオでレギュラーを抱え、CMもある。グループのレギュラー、CMも絶えることなく、18年に山口達也が女性スキャンダルを起こしても、「ザ!鉄腕!DASH!!」(日本テレビ系)と「TOKIOカケル」(フジテレビ系)は打ち切られなかった。
グループのルーツは1989年までさかのぼる。「平家派」のメンバーだった城島と山口が、「JURIA」として音楽活動をスタート。アイドルの歌番組「アイドル共和国」(テレビ朝日系)に出演した時、「城島茂バンド」となり、のちに故・ジャニー喜多川社長によって「TOKIO BAND」と改められた。東京=TOKIOから世界に発信という願いが込められたという。
翌90年に平家派の国分、ジャニーズJr.だった松岡、引退した小島啓さんが「SMAPの学園キッズ」(テレビ東京系)に出演して、城島と合流。のちに城島が山口も加えるようジャニーさんに直訴して、スタートメンバーがそろった。しかし、それでもなおグループ名は定まらなかった。
先輩のバックダンサーについた時は、「踊るTOKIO」となった。演奏だけのステージでは「TOKIO BACKBAND」と呼ばれた。バックダンサーの人数合わせでは「ブギウギ TOKIO」とネーミングされた。アイドルライターが言う。
「久しく“補充”という扱いをされていました。逆にファンの共同意識が高まったせいか、94年9月21日にリリースされたデビューシングル『LOVE YOU ONLY』は、いきなり52万枚以上を売り上げるヒット。デビューからわずか3カ月10日で『NHK紅白歌合戦』に出場して、史上最速記録を作りました(※のちにWaTが更新)」
88年に結成された平家派には、元V6の長野博と坂本昌行と井ノ原快彦に加えて、のちに反町隆史となる「野口隆史」も在籍していた。
TOKIOの歴史は深くて長く、重いのだ。
(北村ともこ)