今年は堂本剛のメモリアルイヤーだ。堂本光一とのKinKi Kidsはメジャーデビュー25周年。「剛紫」(つよし)名義でシンガーソングライターとしてソロデビューして20周年でもある。中学生でジャニーズ事務所に入所した2人はもう43歳。先輩のSMAPとV6は解散し、TOKIOは音楽活動を休止。新作をリリースしているミュージシャンとしては、KinKiが最古となった。
5年前の20周年アニバーサリーは、当初の予定の半分以上が実現不可となった。剛が左耳突発性難聴を発症して、150日ほどデュオ活動を休止したからだ。20周年メモリアルライブ「KinKi Kids Party~ありがとう20年~」は横浜スタジアムの2DAYSだったが、ステージに立ったのは光一だけ。剛はライブ映像でつないだ出演となった。
10代の頃、多忙すぎて精神のバランスを崩した剛にソロ音楽という逃げ場を与えたのはジャニー喜多川氏。23歳で1stソロシングル「街」をリリースした。10代で上京した時の葛藤を作詞にしたが、メリー喜多川氏は、「なんでこんな男っぽい曲を書いてんのよ」と激怒したという。
「メリーさんは、『あなたはもっと女性に対してキラキラした自分を見せないといけないじゃない』と王道アイドル路線を望んだのです。しかし、のちに『あなたは今まで私が言ってきたことを、何も気にしなくていいわよ。この人みたいになるのよ』と言って、ビョークのアルバムを手渡したそうです」(アイドル誌ライター)
ビョークとはアイスランド出身で、グラミー賞に12回もノミネートされた世界的アーティスト。メリー氏は剛に日本、アイドルという概念を取っ払ってほしいと願っていたようだ。さらに後日、驚きのDVDボックスを送った。
「それは藤山寛美のDVDです。今年が33回忌の喜劇役者で、同じく役者の藤山直美さんの実父。型破りな金銭感覚に莫大な負債額ほか、板の上以外の伝説も多かった昭和を代表する偉人です。メリーさんは20代の剛に、笑いのセンスをも見出していたんでしょう」(前出・アイドル誌ライター)
剛は10代の頃にジャニー氏から、「なんでそんなにしゃべらないの、関西人なのに」と言われていた。そのため漫才を観て、しゃべりの技術を身につけた。そんな10代があって、メリー氏から喜劇役者を学ぶよう教えられ、歌って踊って、笑わせるセンスも身につけた。30代の頃にはコンサートMCが1時間を超えることもあり、ジャニー氏から「YOUたち長いよ」と言われるまでになった。
KinKiにはジャニー&メリーのDNAが流れているのだ。
(北村ともこ)