ジャニーズ事務所に所属するタレントの公式ファンクラブ「ジャニーズファミリークラブ」に入会しても、嵐のコンサートチケットは入手が困難だった。グループ活動を休止して、およそ2年。この間、関ジャニ∞やKis-My-Ft2、King & PrinceやジャニーズWESTがドームツアーを開催し、年末にはSexy Zoneもそこに名を連ねる。しかし、新国立競技場に進出したグループはない。旧国立でのライブを全公演満員にしていた嵐がいかにすごかったか、改めて偉大さを感じさせる。
今なお、トップアイドルグループとして語り継がれる嵐だが、当然不遇時代はあった。今年は主演ドラマと主演映画、「24時間テレビ 45」(日本テレビ系)のメインパーソナリティなど大車輪の活躍である二宮和也も、ジャニーズJr.時代は苦汁をなめている。客を集められなかったのだ。
モロに体感したのは、入所した翌97年に相葉雅紀、松本潤、生田斗真で主役を演じた初ミュージカル「Stand by Me」。二宮と相葉は14歳、生田が13歳で、松本が12歳。「ジャニーズJr.Boys」を組んで間もない頃だった。
そろって中学生で若かったため、ジャニー喜多川社長の期待は非常に大きかった。ところが、現実は甘くなかった。チケットは売れ残り、主役の4人は開場前に劇場を出て、チケットを道行く人にタダで配っていた。数千円の鑑賞料金であるチケットを無料でばらまくのは屈辱だったが、空席を埋めようと必死だった。
「おそらく、事務所でごっそりチケットを買って配布していたのでしょう。無料でもいいから空いた席を埋めて、演者のモチベーションを下げまいとしたのだろうと推測されます。メンバーは大人になってから、『あれ、ジャニーさんが買い取ったんだろうね』と話したそうです」(アイドル誌ライター)
嵐が結成されたのは、このおよそ2年後。その99年に二宮は、ジャニー氏に退所を申し出ている。承諾の返事をやんわり避けられ続け、同年9月に労いのハワイ旅行に同行させてもらった‥‥つもりだったが、まさかの嵐の結成記者会見だった。
だまされてスタートした二宮の嵐人生。ジャニーズ歴が26年になるとは、誰よりも本人がいちばんびっくりしていることだろう。
(北村ともこ)