これぞ芸能界の「ジャパニーズドリーム」だったのかもしれない。
アパレルブランドを経営するなどマルチに活躍するタレントの若槻千夏が、若いころにバラエティ番組でブレイクした当時を回顧。爆発的な人気がどれほどスゴかったのか、共演者も驚いていたようだ。
5月31日深夜放送の「内村と相棒」(フジテレビ系)では、若槻の芸能生活を振り返ることに。高1でモーニング娘。の第3回追加メンバーオーディションに応募するも、書類選考で落選していたことが紹介され、合格していれば「辻ちゃん加護ちゃんと同期」だったことを明かしていた。
そのように芸能界を志向していた若槻は高2だった2001年、東京・渋谷109でスカウトされ芸能デビュー。2004年に出演した「めちゃ×2イケてるッ!」(同)の抜き打ちテスト企画でおバカタレントしてブレイクし、現在に続く活躍が始まったという。
「それ以前からグラビアで活躍していましたが、バラエティタレントとして人気が出てからは文字通りの引っ張りだこに。当時は午前2時に仕事が終わると、午前4時にはもう翌日のお迎えが来るという殺人的なスケジュールで働いていたそうです」(芸能ライター)
そんな多忙すぎる毎日でテンパってしまった若槻は、アンタッチャブルと共にメイン司会を務めていた競馬番組「うまッチ!」(同)を本番直前にドタキャン。若槻不在の生放送をアンタッチャブルの二人が上手くカバーしてくれた様子などが紹介されていた。
それほど売れていたとあれば、ギャラも相当よかったはず。今回の番組では当時の稼ぎっぷりも明かされ、MCの内村光良を驚かせていたのである。
「番組には若槻の父親がVTR出演し、実家の室内に数多くの若槻グッズが置かれている様子が映し出されました。娘想いの父親だと内村らが感心するなか、若槻はなんとその実家をデビュー3年ほどの若さで『建て直しました』と明かしたのです。建て直しのレベルにもよりますが、大幅なリフォームでは1000万円超えもザラ。二十歳そこそこの若槻が、親にポーンと1000万円超の建て替え資金を渡せるほどに稼いでいたわけです」(前出・芸能ライター)
その後、2006年には体調不良から芸能活動をセーブし、翌年には引退をささやかれていた時期もある若槻。20代前半でどれほど働きづくめだったのかが分かるエピソードだったとも言えそうだ。