井ノ原快彦が、若手育成やプロデュース業を行う「ジャニーズアイランド」の代表取締役に就任して半年が過ぎた。親会社のジャニーズ事務所は今なお、創業者のジャニー喜多川氏の性加害問題という大激震に見舞われているが、会社代表、俳優、歌手という3足のワラジをはく井ノ原はきわめてクリーン。ジャニアイのトップとして、令和のジャニーズJr.たちに寄り添った指導をしているという。
V6のグループ時代から、自身が属するユニットの20th Century(井ノ原、坂本昌行、長野博)と弟分ユニットのComing Century(森田剛、三宅健、岡田准一)の架け橋だった井ノ原。両ユニットのちょうど間の年齢だったため、四半世紀以上にわたって中間管理職的な立場にいた。6人グループで最良のバランサーだったため、組織のトップも適任といえる。
そもそもジャニアイの代表は、前任者の滝沢秀明が昨年10月末で電撃退任したことでお鉢が回ってきた。その滝沢は、18年末までマルチタレントで、今井翼とのデュオ・タッキー&翼としても活動していた。しかし、エンタメ業界がデジタルに本格参入していく未来を見越して、芸能界を引退して「フロント入り」した。
今年3月、ダンス&ボーカリストたちを発掘・育成する新会社「株式会社TOBE」を設立。再び組織のトップに立った。偶然にも、井ノ原と同じ肩書で同業種だ。
振り返ってみれば、2人は、ジャニーズ時代から切っても切れないつながりがあった。
「実はイノッチはタッキーの“名付け親”なのです。通常、所属グループの命名はすべてジャニーさんがすべて担ってきましたが、タッキー&翼の略称は“たきつば”。これはイノッチ発信で、2人の入所直後に付けています」(芸能ライター)
ジャニーズJr.時代に、現在は退所して俳優・ドラマーとして活躍している川野直輝と同じドラマに出ていたことから、「怪談トリオ」と呼ばれていた滝沢と今井が13歳の頃、原宿の竹下通りに服を買いにいった。購入したのは、同じデザインで色違いの上着。それを同じ日に着用してダンスレッスンに参加した2人を見た井ノ原は、「お前たち、仲いいな。“たきつば”でいいじゃねぇか」と軽く言った。滝沢のあだ名はすでに「タッキー」だったが、2人をワンパックにして、さらに略称で呼んだのは井ノ原が初めて。期せずして、名付け親になってしまった。
そんな出会いからおよそ28年がたって、そろって明日のスターを育てる会社の代表になるとは露ほども思わなかったはず。タッキー社長は今でもイノッチ社長に頭が上がらないかもしれない。
(北村ともこ)