2年以上続いてきた当連載も、これが最終回とのこと。タイトル通り、パリッコさんと緩く手紙のやり取りをしているような気分が好きだったので、寂しい限りです!最終回が私の担当で、しかも「酒とは? そして酒場とは?」という大きなテーマをいただいて、ちょっと緊張するのですが、なんとか書いてみます!
私とパリッコさんが出会ってもう15年ぐらいは経っている気がするのですが、よく一緒にお酒を飲むようになったのには理由があって、それはきっと「酒があれば何でもいい」からだと思います。そこまで書くとちょっと極端に響き過ぎるかもしれないのですが、酒がある場なら、どんなところでも楽しめる性質だということです。
私が酒場で飲む楽しみを知ったのは、それこそ、吉田類さん、太田和彦さん、なぎら健壱さん、ラズウェル細木さんといった酒場界の偉大な先達が大衆酒場の魅力を様々なメディアで盛んに紹介していたおかげで、それまでは、ほぼチェーン居酒屋にしか行ったことがありませんでした。
個人でやっている酒場に行くと、チェーン店とは違い、店ごとにまったく異なる個性があって、どんな出会いがあるのか毎回予測できず、冒険をしているかのような楽しみを感じました。それを知ると、街のあちこちにある酒場が全て宝の山のように見えてきて、一気に世界が塗り替えられたような気がしたものです。
酒場めぐりに没頭し始めた頃は、そうした個人店とか、大衆酒場の名店とされるところをめぐって、自分の知らない世界の地図を少しずつ広げていく感覚でした。その気持ちは今も変わらず、パリッコさんとたまに東京とか大阪で会って、行き当たりばったりに居酒屋に入ってみる時のドキドキする感じはたまりません。
しかし、それと同時に、ここが重要な気がするのですが、パリッコさんも私も、チェーン店で飲む酒もそれはそれで楽しいと思うほうで、どちらかだけという感じでもないんですよね。さらには、「チェアリング」なんて言って、イスを持ち歩いて好きな場所に置いて、片手にお酒さえあれば、そこはもう酒場なんじゃないかと、そう考えるまでに至ったわけです。
我々が愛して求めてきたのは、おいしい酒、おいしい料理、味わい深い店、魅力あふれるお店の方とか、隣のお客さんと何気なく始まる会話とか、もちろん、そういったものもあるのですが、そもそも、“酒がある場”自体なんですよね。
飲むと気持ちが緩み、ちょっとぼーっとしてくる酒という謎の液体。それは効率が至上とされる世界では、ひょっとしたら無駄なものかもしれない。しかし、そんな液体だからこそ、「ちょっと飲んでいこうかな」と思った時に、すごく気分が和らぎ、日々のあれこれから束の間でも解放される幸せをもたらしてくれるのです。
私にとって酒は、いろいろなことが思い通りにならなくて悩みの多いこの世界から、少し解放してくれる、許しのような存在です。そして私にとって酒場とは、個人店、チェーン店、もはや店でもない屋外(山とか川とか)とか自分や友達の家も含め、酒を飲むことが許されている場所のこと。この、許しを与えてくれる場があるからこそ、生きていけるのだと思います。
この連載をずっと読んでくださった方がいたとしたら、「ご愛読ありがとうございました」と感謝の念を述べたいとともに、「いろいろと大変な世の中で、気楽な酒の時間をたくさん作っていけるように、これからも一緒にのんびりとやっていきましょう!」と伝えたいです。お互い、飲み過ぎには気をつけて、できるだけ長くお酒を楽しめるよう、健康にも気をつけて、いつかどこかの酒場で会いましょう!
スズキナオ:東京生まれ、大阪在住のフリーライター。著書に「深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと」「家から5分の旅館に泊まる」他。「大阪環状線 降りて歩いて飲んでみる」がLLCインセクツより絶賛発売中。