グループとしては、木村の主演ドラマ「ロングバケーション」(フジテレビ系)が社会現象となった96年を境に、ライブのスケールが拡充。06年9月には、単独アーティスト史上初となる東京・国立競技場公演を2日連続で開催した。ところが、中居はこの前月、肋骨にヒビが入り、公演数日前にふくらはぎが肉離れを起こしていた。立っているのがやっと。5人でのライブが困難になった。しかし、そのとき木村はこう言ってのけた。
「5人が揃ってないとダメでしょ。中居は動かなくていいから。俺らが中居をセンターに持ってって、あとはステージング、全部変えるから」
歌割り、ダンス、ポジションなどのすべてをリハで変えた。本番では、縦1列に並んで、時間差で手を動かす阿修羅像のようなヴォーグ(ダンスの種類)を加えた。上半身なら動かせる中居を参加させたいがゆえの、アドリブだった。
「みんなバラバラで、みんなワガママ。だからSMAPはおもしろい」
とは、木村が残した名言だ。
10年には、日本人初のコンサート通算観客動員1000万人を突破。SMAPは「日本の宝」となった。
アイドルだから、できない。ジャニーズだから、やれない。そんな既成概念をブッ壊すことで、道なきところに道を創ってきたSMAPだけに、つまづいたことも1度や2度ではない。
96年、森から脱退の意思を伝えられたときは、残りの5人で「解散」が議論された。
01年、稲垣が道交法違反で逮捕されたときは、稲垣の顔がプリントされたTシャツを4人で着て、残りのツアーを乗りきった。
09年、草なぎが逮捕されたときは、香取が毎日話し相手になり、稲垣は温かい食事をマンションに届けた。
この時、草なぎはメンバー愛を痛感したと述懐し、後に仲間を救っている。
それは14年、「27時間テレビ」(フジテレビ系)の総合司会に初挑戦したときのこと。フィナーレを飾る生ライブの最中に中居が体調不良を訴え、何度かステージ袖に避難した。その時自然に4人のフォーメーションダンスに切り替えたのは草なぎだった。そして、終盤で熱唱した名曲「CRAZY FIVE」の歌詞〈過ちをおかし続け それでも信じてた〉で号泣したのもまた草なぎだった。
「森」があり、「木」があり。「稲」と「草」に「香」りがあって、その「中」にリーダーがいた。エンタメ界に記録を刻み、人の脳裏に記憶を焼きつかせたのは、偶然ではなく必然だった。その使命をまっとうしたからこそ、5つの星は2016年12月31日、空に還るのだ。
ファンの心の中に「伝説」だけを残して──。