嵐の大野智といえば、ジャニーズタレントの中でもトップクラスのダンススキルを持つことで知られている。そのベースは、ジャニーズJr.だったころの16歳から18歳にかけて、京都に住みこんでミュージカル「ジャニーズ・ファンタジー KYO TO KYO」の主役を張ったときに培われた。1997年には、このミュージカルのためのユニット「TOKYO浜松町」が誕生している。
伝説となったこのユニット、今はどうなっているのか。取材経験が豊富な演劇ライターに話を聞いた。
「ユニット名はKAT-TUNのように、メンバーの頭文字を取ってつけられました。“T”は高木誠一郎。“O”は尾身和樹。“K”は鎌田淳。“Y”は屋良朝幸。“O”が大野。“浜”は浜田一男。“松”は松本淳一。“町”は町田慎吾。今もジャニーズに残っているのは、屋良と大野だけです」
屋良は、タッキー&翼・滝沢秀明と今井翼と同期。TOKYO浜松町の解体後は「Musical Academy」、滝沢のプロデュースユニット「舞闘冠」として経験を積んだ。KinKi Kids・堂本光一から依頼を受けて振り付けをしたのを機に、本格的な舞台役者に。今では、光一の主演舞台「Endless SHOCK」の大黒柱になっている。
では、退所した元同僚は今、なにをしているのか。先の演劇ライターは続ける。
「高木は2001年2月、尾身とヴォーカル&ダンスユニット『D’sey Kaz』を結成しましたが、解散。結婚して、離婚したウワサがあります。その尾身は大野が嵐になった1999年、浜田(浅倉一男)らと複数で未成年飲酒・喫煙していた写真が激写されて、解雇。タレント活動を再開してからは、『マネーの虎』(日本テレビ系)に出演して、自社ブランドを立ちあげるための資金援助を募っています。成立はしませんでしたが。今は、浅倉くんと東京・歌舞伎町でパブを共同経営しています。町田は、他事務所で役者を続行させながら、アクセサリーブランド・CindyLOLを立ちあげています」
町田は、今でも大野の大親友。2015年の退所の際、悔やむ声が多く聞かれた。元Jr.の運命は、さまざまなのだ。
(北村ともこ)