引退した横綱・日馬富士の暴行騒動を巡り、貴乃花親方と日本相撲協会の関係がいまだくすぶっている。
いまや“変人”と称される貴乃花親方だが、現役時代の貴乃花ほど騒がれた力士は少ない。貴花田時代から兄・若花田とともに若貴フィーバーを巻き起こし、1992年1月場所に19歳5カ月で幕内初優勝。2001年の5月場所では14日目に右膝半月板を損傷する大怪我を負いながら優勝決定戦で奇跡の勝利。表彰式では当時の小泉純一郎首相が「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と大絶賛したことは相撲ファンでなくとも記憶に新しい。
一方、プライベートでは女優・宮沢りえとの婚約解消がニュースとなった。92年、宮沢と婚約するも、わずか2カ月後に解消。日本中をフィーバーさせたが、あっという間に幕を閉じた。
「当時から婚約解消の理由は明らかになっていませんでした。しかし、14年10月に放送されたバラエティ番組『上沼・高田のクギズケ!』(読売テレビ)に出演した歌手の美川憲一は、宮沢の母親に貴花田との婚約を解消してほしいと頼まれたことを明かしました。美川は宮沢に電話をかけて『(相撲部屋の)おかみさんになったら、お母さん、どうするの? ずっと面倒見ていかないといけないのよ』などと説得したそうです」(芸能ジャーナリスト)
その美川だが、11月22日に放送された「バイキング」(フジテレビ系)で、日馬富士の暴行騒動に関連して過去の自身の経験を告白。マネージャーの態度がいただけなかったという理由で、平手打ちをしたことがあるというのだ。「(相手に)愛を持ったら、やっぱり手が出ても、それはしょうがないと思わなきゃいけない。愛のムチだなと」と平手打ちの理由を語った。
「日馬富士の件と程度の差はありますが、美川は場合によっては愛のある暴力もあるという持論のようです。先輩のしつけでも暴力は絶対に許さないと弟子・貴ノ岩を徹底的にかばった貴乃花親方とは根本的に意見が異なりますね」(前出・芸能ジャーナリスト)
貴乃花にとって、美川憲一は永遠の天敵かもしれない。
(石田英明)