俳優・瑛太と生田斗真のW主演映画「友罪」が5月25日から上映されている。毎年コンスタントに主演映画が封切られる生田にとって、同作は今年初めての作品。来年は、大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」(NHK)への出演が決定。ジャニーズ事務所の数少ない専業俳優として、大活躍を見せている。
生田といえば、同世代の嵐、関ジャニ∞と違い、役者業1本のイメージが濃い。しかし、10代のころは歌って踊るアイドルだった。
「元光GENJIの山本淳一をリーダーに結成された『Junichi&JJr』というユニット時代には、CDを出しています。ジャニーズJr.はこれまで、教育テレビのアニメ『忍たま乱太郎』(Eテレ)のエンディングテーマを歌っていますが、Junichi&JJrはこの関連で95年に『0点チャンピオン』と『終らないSCHOOL DAYS』、翌96年に『こうしちゃいられない』と『SING!!』の計4曲を歌い、2枚のCDをリリースしています」(アイドル誌ライター)
同ユニットには、嵐結成前の大野智もおり、タッキー&翼を結成する前の滝沢秀明と今井翼がコーラスで参加。作詞は秋元康氏で、なんとも豪華な布陣だった。生田は、11歳で入所したわずか2カ月後、NHK『天才てれびくん』のオーディションに合格したスーパールーキー。そのころにも、意外なタレントと音楽活動を共にしている。
「番組内でバンドを組みました。一緒に出ていた当時の子役タレントだったウエンツ瑛士、前田亜季がメンバーです。バンド名は『ストロベリーパフェ』。番組内だけの活動だったので、広がりはありませんでしたが、今の斗真を思うと貴重な時代です」(前出・アイドル誌ライター)
ウエンツは今もマルチタレントとして、情報・バラエティ番組で活躍中。前田は女優業を続けており、歌舞伎役者の6代目中村勘九郎が義兄にあたる。
ちなみに生田は12歳のとき、Jr.内の「MAIN」という4人組に加わっている。Mが松本潤、Aが相葉雅紀、Iが生田で、Nが二宮和也、それぞれの頭文字をとったものだった。のちに、生田をのぞく3人は嵐としてデビュー。あぶれた生田は山下智久、風間俊介、長谷川純で「Four Tops」を組んだが、山下がNEWSのメインメンバーとなってデビューしたため、ユニットは解体。残った3人はアイドルではなく、俳優という道にシフトチェンジした。
嵐からもNEWSからも外された生田。名演技の影に流浪の過去あり。
(北村ともこ)