日本テレビ系ニュース番組「news zero」の月曜キャスターといえば、嵐・櫻井翔。今秋で就任13年目を迎え、9月に開幕する「ラグビーワールドカップ2019日本大会」の日テレ系スペシャルサポーターを務めることが決定している。ジャニーズタレントのキャスター歴最長とあって、その信頼と実績はいまだ他の追随を許さない。
慶應の幼稚舎から大学までという高学歴にして、トップアイドル。知的ジャニーズの名を欲しいままにしているが、10代のジャニーズJr.時代はこんな独自の道を切り拓くとは予想だにしなかったと、女性週刊誌の記者は振り返る。
「嵐結成1年前(98年)で、思春期真っ盛りの櫻井は、反抗期でくすぶっていました。それを『8時だJ』(テレビ朝日系)の本番中、隠しもしませんでしたね。あのころの番組を支えていたのは、昨年末に芸能界を引退した滝沢秀明を中心に、生田斗真、のちに嵐となる相葉雅紀、松本潤、二宮和也。彼らはひな壇の最前列でしたが、同世代の翔くんは最後列。司会のヒロミは、『ヤンキー(要素が)入ってた。頭いいんだけど、斜に構えたお兄ちゃんっていうところもあった』と評すほど、いい印象を抱いていませんでした」
慶應ボーイのうえに塾まで通っていた櫻井。大学卒業後は一流企業に就職することも考えていたため、Jr.を長く続けるつもりはなかった。しかしその一方では、「8時だJ」で爪痕を残したいという相反する矛盾も抱えていたという。そんなはざまで悩んでいたとき、みずから優等生キャラを付けてみたのだ。
「番組開始からおよそ4カ月後、『朝食は洋食か和食か』という問いがありました。そこでヒロミは、いつも通り滝沢や生田をさしたあと、櫻井に聞いたんです。すると焦った櫻井は『……えっとー、僕はどっちとも言えないんですけど。と言いますのは』と続け、その後も『または』、『結果として』など堅い文章口調で話すことで、キャラを1つ乗せました。これを面白がったヒロミさんは毎週、翔くんを指名するようになりました」(前出・女性週刊誌記者)
この“指名”によって、櫻井はテレビ番組の収録に臨む気持ちが変化。キャスターになり、言葉に責任感を抱くようになった20代以降は、自然に「と言いますのは」や「なぜならば」と言うが、その源流は「8時だJ」とヒロミにあったといっても過言ではない。
迷走していたJr.時代から21年の時を経て、今年は嵐の結成20周年イヤー。櫻井は今なお、インテリ路線を疾走している。
(北村ともこ)