来年はV6のデビュー25周年アニバーサリーだ。ジャニーズグループでは少年隊、TOKIOが音楽活動を休止しているため、楽曲をリリースし、コンサートもコンスタントに開いている既存グループでは、V6が最古となる。
ジャニー喜多川社長が亡くなったことで、ジャニーズアイドルの歴史を振り返ることが増えている。栄光の歴史の中でも、さんぜんと輝くのが光GENJIだ。87年にデビューするや、またたくまにスターダムを駆け上がった7人は、8年弱で活動を終えている。現在もジャニーズに所属しているのは、内海光司と佐藤アツヒロ。その佐藤と同郷で、ジャニーズ入所前から親しかったのは中居正広だ。
「同じ神奈川県藤沢市出身で、中学校が隣だったのです。佐藤は86年8月、中居はそのおよそ半年後の87年にジャニーズ入り。アイドル歴は佐藤が先輩で、年齢は中居が1学年上という関係です。お互いが存在を知ったのは、ジャニーズJr.になって、レッスン場で話してから。以降は、一緒に小田急線に乗って帰っていたそうです」(アイドル誌ライター)
Jr.時代、2人はジャニー喜多川社長から声をかけられて、東京・後楽園にあったスケート場に通って、ローラースケートの練習に加わった。ところが、真面目に通った佐藤と異なり、草野球の練習を優先させた中居は、レッスンをサボった。これが運命の分かれ目となり、佐藤は光GENJIに抜てき。中居は、光GENJIのバックダンサー・スケートボーイズ(SMAPの前身)という格差に泣いた。それでも2人は、実家で泊まりあい、湘南の海で遊び、仕事の相談をしあう仲だった。
「佐藤は、グループ最年少にして入所最短(当時)でメンバー入りを果たしたため、解散したときはまだ22歳の若さ。一方的に解散を言い渡されたため、当時はまだペーペーの中居が激怒。事務所の上層部に向かって、『敦啓(本名)のこと、考えてんのかよ!あいつは10代でデビューして、22(歳)でいきなり辞めるって、ハシゴはずされてさ、かわいそうじゃねぇか!』とガチギレしたといいます」(前出・アイドル誌ライター)
光GENJIからSMAPへ政権交代。複雑な思いながらも、ジャニー氏ほか大人に噛みついた中居。元トップアイドルグループのリーダーは、このころから漢気に満ちていた。
ちなみに2人は、15年9月に放映された「ナカイの窓 ゴールデン2時間SP」(日本テレビ系)で、地上波ではおよそ20年ぶりに共演。収録後には、V6・井ノ原快彦、TOKIO・国分太一、NEWS・中丸雄一を交えて旧交を温めたという。
2つの元国民的アイドル。また、ツーショットが見たい!
(北村ともこ)