デビュー前のジャニーズJr.から、妻子ある50代のベテランまで、ジャニーズタレント幅広いラインナップの中から、毎週かならず1組は観られる長寿音楽番組、それが「ミュージックステーション」(テレビ朝日系)だ。
放送開始は86年。初回に出演したのは、「ジャニーズの長兄」近藤真彦だった。翌87年、光GENJIがデビュー。88年には年間シングルCD売り上げトップ3を独占するほどの社会現象となり、以降のおよそ4年間にわたってレギュラー出演した。その回数は番組史上最多。1つのグループが毎週出演したのは、後にも先にも光GENJIだけである。
光GENJIの出現によって、「Mステ」はジャニーズと密接な関係になった。そのため、生放送の日には故・ジャニー喜多川氏が姿を見せることが多く、本番ギリギリのタレントに無茶ぶりをしたこともあった。音楽誌のライターが当時を振り返る。
「KAT-TUNの亀梨和也がJr.時代、嵐のバックダンサーについたときのこと。リハーサルを見ていたジャニーさんが突然、『それじゃあ、(バックが)目立たないよ。黒い手袋、用意して!』と言いだしました。そのままどこかへ行き、しばらくして戻ってきたジャニーさんの手には、黒い靴下が…。『YOUたち、これ着けちゃってよ』と指示され、急きょ靴下を両手にはめて踊ることになったのです」
嵐は99年にデビューシングル「A・RA・SHI」を発売する直前、「Mステ」に出演。伝説のスケルトン衣装を着て、ジャニー氏みずからが書いた「嵐」の文字をバックにして熱唱した。この衣装には本来、白いTシャツのインナーがあった。それを本番直前、「YOU、脱いじゃいなよ」と指示。急きょ上半身が露わになり、透明のビニール衣装が生まれた。
「亀梨はおよそ2年前、山下智久とのデュオ・亀と山Pとして『背中越しのチャンス』をリリースしています。『Mステ』に出たときの2人は、黒い上下スーツに白いダボTシャツという衣装でした。それを見たジャニーさんは、またもやスイッチオン。『YOUたち黒すぎだよ。これ付けていったほうがいいよ』と、テレ朝の受付窓口に飾っていた赤い花を渡し、2人はそれを左胸ポケットにさして、本番に臨みました」(前出・音楽誌ライター)
ひらめきと即行動の精神で、ステージを瞬時に変えたジャニー氏。ギネス記録保持者の稀代のプロデューサーは、万人の想像を常に超えるものだった。
(北村ともこ)