日本中から注目された芸能人の大学進学が、広末涼子の早稲田大学への入学である。「自己推薦入試」という奇妙なシステムであったために、その初登校をマスコミ陣は待ち受けた。そして99年6月30日、その日がやって来る。正門前にはテレビカメラがずらりと並び、早大の学生やヤジ馬を含めた数は実に3000人。
広末は大熊講堂前でにこやかに撮影に応じていたが、想定外の人の多さに現場は大混乱となってしまう。広末はもみくちゃにされ、殴られるかと思ったほどの恐怖心に襲われた。さらに、「ヒップを触って来た人! ふざけるなって感じでしたね」と後日、明かしている。
結局、以降もキャンパス内で広末を待ち構える攻勢に耐えかね、ほとんど出席しないままに自主休学を決めた。ピュア系の象徴であった広末も、奇行の数々や奔放な男遍歴が続き、そのイメージは一気に低落してしまったのだ。
00年6月29日、元フジテレビアナの近藤サトは、坂東八十助(後の三津五郎・故人)との離婚会見に臨んだ。その2日前、八十助が単独で離婚会見を行い、これを受ける形での近藤の逆襲である。2人は不貞関係から晴れて略奪婚となったものの、歌舞伎界特有のしがらみによって終止符を迎えた。
「私は結婚に際して子供ができることを望んでおりました。それを誰かの意見によって阻まれるというのは、私にとって理解できない」
元アナウンサーらしく、近藤の独演は30分も続いた。八十助は前妻との間に長男がおり、もし、近藤との間に男児が産まれれば後継者問題で揉めてしまうというのが、梨園特有の考えだった。近藤は優柔不断な八十助に愛想をつかし、その後も、奔放な男遍歴は続いた。