嵐といえば、知らぬ者はいないと言えるトップアイドル。グループ活動を休止して2年目に突入したが、表舞台から姿を消した大野智を除く4人(櫻井翔、相葉雅紀、松本潤、二宮和也)はレギュラー番組やCMで見ない日はないため、メディア出演が減ったイメージはない。
5人は当然、突然売れたわけではない。あまたのジャニーズタレントと同じくジャニーズJr.を経験し、さまざまなコンセプトのユニットを歴任。その全ユニットは雲散霧消となった。嵐のルーツといえる「B.B.B」もそのひとつだ。
このユニット名はBoys Best Beatの略で、松本、相葉、生田斗真、二宮に退所した石松晃さんと遠藤司さんがメンバーだった。97年にグループ初の主演ミュージカル「STAND BY ME」に出演予定だったが、遠藤さんが突然脱退・退所したため、グループは解体。松本がピンチヒッターで出演した。そして、「MAIN」が誕生。96年組同期の松本、相葉、生田、二宮の頭文字を取った4人組だ。スタート時は「Jr.BOYS」、のちに「ジャニーズJr.Boys」に改称されて、最後にMAINとなった。このまま4人が売り出されると信じて疑わないファンが多かったが、99年に嵐が結成。生田はメンバーから外され、嵐のバックダンサーに降格するという辛酸を舐めた。
大野は97年、京都にオープンしたシアター1200でロングラン公演「KYO TO KYO」に出演。5人組の中心ユニット「少年新撰組」で、京都に移り住んだ。公演終了後の99年、少年隊の主演ミュージカル「PLAYZONE’99 Goodbye&Hello」に出演。ダンスを得意とするジュニアが集められた「Musical Academy」の一員になった。通称「MA」は、ジュニアのなかで飛び抜けたダンススキルだったが、現在も残っているのは大野だけだ。
櫻井は97年に今井翼と「翼翔組」(つばしょうぐみ)を組んでいた。2人とも小柄だったため、アイドル雑誌で「Littleチーム」と称されたこともある。当時、櫻井と今井はプライベートでも大の仲良し。レッスン後は一緒に帰って、買い食いしたり、プリクラを撮ったり。思い出の写真の数々を、今井は今も大事にしているという。
「嵐の古株は大野で、次の代が櫻井。松本、相葉、二宮と続きます。それぞれがさまざまなユニットを組んできましたが、MAINは別格でしょう。デビュー間近と期待され続けていて、雑誌の表紙を飾ることもありました」(アイドル誌ライター)
ジャニーズJr.戦国時代と言われる現在のジュニア勢も、ほぼ全員がさまざまなユニットを渡り歩いている。嵐のように、デビューという形で報われる日が来てほしい。
(北村ともこ)