ソチ五輪のフィギュアスケートの団体で金メダルを獲得。現行ルール下での冬季五輪フィギュアスケートでの史上最年少金メダリストとなり、欧州選手権史上最年少優勝の記録も持つユリア・リプニツカヤ選手。柔軟な体を活かしたキャンドルスピンが有名で、五輪のFSで演じた「シンドラーのリスト」の名演も印象深い。しかし、ソチ五輪以降は華々しい活躍が伝わってきていない。
「今シーズンはGPロシア杯のSPで3位となり復調を思わせましたが、故障のためFSを中断して、結果12位に。GPアメリカ杯は持病の悪化で出場辞退。ロシア選手権の前には練習の帰路に転んでケガをし、欠場しています」(スポーツライター)
ソチ五輪後、リプニツカヤ選手は小さくて華奢なイメージが嘘のように背が高くなり、胸も大きくなって貫禄ある体格に。この急成長でバランスが悪くなったことが原因の1つとされているが、それだけではないようだ。
「ソチ五輪の時、リプニツカヤ選手は現在の女王であるエフゲニア・メドベージェワ選手と同じエテリ・トゥトベリーゼコーチの指導を受けていました。それが、ソチ五輪後からぎくしゃくしだし、15-16年のシーズンの途中にコーチを替えたのです。コーチが替わることは珍しくありませんが、シーズン中に替えることは普通ありえません。リプニツカヤ選手の場合は、母親が元凶とされています。母ひとり子ひとりで育ったリプニツカヤは母のいいなり。ソチ五輪の活躍で、勘違いしてしまった母親がスケートのことにまで口を出すようになり、コーチに相談もせず専属トレーナーを雇い、皆と一緒のトレーニングをしなくなり、コーチの言うことも聞かなくなったのだとか。後輩のメドベージェワ選手が頭角を現したのも、おもしろくなかったんでしょう。コーチが替わってから、成績はガタ落ちです」(前出・スポーツライター)
どんな才能も、正しい導きがあってこそ花開くということだ。
(芝公子)