元タッキー&翼・滝沢秀明がジャニーズ事務所のフロント入りをはたしたことによって、ジャニーズJr.の攻勢が激しくなっている。滝沢の右腕としてステージに立ってきたSnow ManやSixTONES、なにわ男子などは、地上波出演や雑誌の表紙になる機会がグンと増えた。
Jr.の知名度と人気が高まった背景には“ジャニーズ流働き方改革”がある。都内一等地に、ダンスレッスン場(3部屋)や所属タレントがタダで利用できる食堂が完成。タレントのジャニーズ離れを食い止めるために設備が整えられている。
ところが、振り返れば20年以上昔、Jr.たちの結集場所といえば合宿所だけだった。80年代には、若者の街・原宿に田原俊彦や近藤真彦、シブがき隊や少年隊、光GENJI、SMAPほか歴代トップアイドルが退室と入室を繰り返していた。まだ幼い少年たちが住み、集まる場所とあって、合宿所には遊び心を満たす高級品が取りそろえられていた。女性週刊誌の記者が当時を振り返る。
「元シブがきの薬丸裕英が住んでいたころに印象的だったのは、ジャニー喜多川社長が趣味で買ったスネークソファです。昭和の大スター・石原裕次郎さんも愛用していた『MOBILIA』というブランドのもので、国内屈指の高級ソファ。1連が15万円もするもので、合宿所には何連もつらなっていました」
余談だが、薬丸はジャニーズを卒業後、TBS系朝の生活情報番組「はなまるマーケット」のメイン司会をおよそ8年も務めたため、のちに“はなまる御殿”と呼ばれた豪邸を建てた。そのとき、大願であったMOBILIAのソファをおよそ490万円分も購入。アイドル時代に描いた積年の夢をかなえている。
合宿所はその後、西麻布、六本木に引っ越し、同居制度が廃止された。この時の高級品はビリヤード台だ。
「リビングルームの真ん中にドーンと置かれていたそうです。さらに、先輩が出た番組を録画するためのテレビとビデオデッキが3台、コンピューターゲーム機は4台。先輩たちが使用する日焼けマシンもあり、冷蔵庫には飲み放題のカルピスが冷やされていたそうです」(前出・女性週刊誌記者)
このほかにも中高生の男子の好奇心をくすぐるアイテムが合宿所には勢ぞろい。少年隊・東山紀之が所持していた大理石のチェスを、Jr.たちが興じたこともあった。先輩たちが同時期に退去すると、残ったJr.はパラダイス。中居正広と城島茂が住むところに、稲垣吾郎が遊びにくることがあったという。
まさに、同じ釜の飯を食っていた昭和終盤と平成初期のアラフォー&アラフィフジャニーズ。それはきっと、かけがえのない思い出に違いない。
(北村ともこ)