Snow Man(岩本照、深澤辰哉、ラウール、渡辺翔太、阿部亮平、宮舘涼太、佐久間大介、向井康二、目黒蓮)とSixTONES(高地優吾、京本大我、田中樹、松村北斗、ジェシー、森本慎太郎)の通称・スノストは、20年にジャニーズ史上初となる2グループ同時デビューを果たした。故・ジャニー喜多川社長が病に伏せる2日前の19年6月16日に、滝沢秀明ジャニーズ事務所副社長と決定。のちにジャニー氏の病床にメンバーが集められ、告げられたという。
ジャニー氏は同年7月9日、天国へ旅立った。9月、両グループが主演を務めたジャニーズ伝統のミュージカル「少年たち To be!」が日生劇場で幕開け。在りし日のジャニー氏の肉声が劇中で流される粋な演出があった。
「少年たち」シリーズは、長きにわたってジャニー氏が企画・構成・総合演出を担ってきた。内容が一部刷新されるまでは戦争シーンを克明に描いていたため、キャストはそれぞれが調べ、戦争経験者のジャニー氏に取材。キャストが構成を任されるシーンもあった。SixTONESは15年から19年まで、看板キャストだった。
「メンバーのジェシーはアメリカ人を父に持つハーフ。その彼がアメリカ人の役を演じ、母国からの徴兵命令で戦地に赴き、命を落とすというリアルなシーンがありました。メンバーは、ジェシーが本当にアメリカに帰ってしまうんじゃないかと涙が止まらなかったといいます」(週刊誌記者)
SixTONESとして初めて出演した15年、ジャニー氏は「Snow Manは最高でYOUたちは最悪だよ」と激怒したことがある。ところが、翌16年には一転。大絶賛したという。
「ジャニーさんは、楽屋の冷蔵庫にジュースを取りに来たメンバーたちに向かって、『YOUたち、いい舞台だから見て行ったらいいよ』と声をかけました。主役のSixTONESをジャニーズJr.たちと勘違いしたのです。『俺たち、まだ顔を覚えてもらえてないの?』と、メンバーたちで爆笑したとか」(前出・週刊誌記者)
のちに、SixTONESの舞台を観たジャニー氏が涙を流していたことを聞かされた。すべてが報われた気がしたという。
今でも日生劇場や帝国劇場でジャニーズの舞台が行なわれる時は、いつもジャニー氏が座っていた場所に遺影が置かれている。
(北村ともこ)