ジャニーズWESTが14年にデビューして以降、関西ジャニーズJr.は久しく「焼け野原」と呼ばれていた。しかし、なにわ男子の誕生で徐々に回復。昨年11月に1stシングル「初心LOVE」でデビューすると、Z世代を中心に大バズリ。大みそかには、「第73回NHK紅白歌合戦」初出場を決めた。
後輩ユニットのAぇ! Group、Lilかんさいは、関ジャニ∞の大倉忠義と横山裕が全面プロデュース。さらにその下のBoys be、AmBitiousも、地元の関西でプッシュされ始めた。
関ジャニでも親分肌で知られる横山は、直近の後輩であるジャニーズWESTには特に親身に相談に乗った。メンバー7人の個性はバラバラだが、横山はすべてを把握。話を聞き、的確なアドバイスを送るために、数えきれないほどごちそうした。中間淳太は「横山くんがいなかったら僕はこの業界にいない」と断言するほど、恩義を感じている。芸能ライターは言う。
「関西人特有の明るさやボケ・ツッコミがWESTの武器ですが、中間は入所当初、そのノリに付いていけませんでした。『辞めようかなと思ってるんです』と最初に相談したのが横山。『辞めるのはいちばん簡単やから』とアドバイスされ、中間は徐々に関西人に染まっていきました。今でも、『ジャニーズWESTでいられるのは横山くんのおかげ』と感謝の気持ちを忘れていません」
兵庫県神戸市で育った中間は、台湾人の父の影響で小学4年生から中学生までのおよそ6年間を台湾で過ごした。小6の時、KinKi Kidsの台湾公演の際に母が現地のジャニーズJr.募集要項を見て履歴書を送付。帰国後に入所した。しかし、日本と台湾、一般家庭と富裕層家庭の差を痛感して、ジュニア時代はなじめず。関西学院大学社会学部社会学科を卒業するころには、さらにその溝が深まった。
「お父さんの意向で、神戸時代は小中一貫の神戸中華同文学校に通っていました。卒業時には日本語、中国語、英語を話せるようになっており、友達も同じく金持ちばかり。関西ジャニーズでは屈指のインテリキャラでしたが、ほんとにその通りだったのです。兵庫県が本社の中華調味料『味覇』には、友人がいます。また、“行列ができる豚まん”で有名な神戸南京町の老舗料理店・老祥紀にも学生時代の友だちがいて、起業家や大企業の凄腕サラリーマンなど交友関係はかなりセレブリティ」(前出・芸能ライター)
中間がなじめなかった関西の水。それを中和し、価値観さえ変えてくれたのが横山。一生、足を向けて寝られないのだ。
(北村ともこ)