SMAPが解散を発表したことによって、彼らの過去がいくつも掘り返されている。もはや伝説とも言えるグループだけにいくつものエピソードが報じられているが、SMAP結成に欽ちゃんこと萩本欽一が関わっていたことはあまり知られていない。
まずはSMAPの経歴をざっと振り返ってみよう。森且行が脱退する1996年まで、SMAPは6人グループだった。1987年にジャニーズ事務所に入所した6人は、のちに学業優先ユニット「スケートボーイズ」になり、1988年にSMAPを結成。以降のおよそ8年間は6人で活動していた。
1991年に「Can’t Stop!!-LOVING-」で歌手デビュー。しかし、ここに至る過程で、木村拓哉と草なぎ剛が他事務所のアイドルグループからデビューするというプランがあったという。そのグループとはなんと「CHA-CHA」。
「SMAPと同じ年にコントアイドルとしてデビューした5人組で、欽ちゃんが初プロデュースした男性アイドルです。前身のグループ名は『茶々隊』。このメンバーオーディションをジャニー喜多川社長が6人に受けさせたんです」(アイドル誌記者)
その結果、木村と草なぎが合格。ところが、理不尽なレッスンに音を上げた木村は脱走。アクロバティックな動きが得意の草なぎは、歌手デビュー直前まで漕ぎつけた。そんなやさき、欽ちゃん本人が「損するからCHA-CHAに入らなくていい」と草なぎに忠告して、ジャニーさんの元に戻している。
「元CHA-CHAで今も芸能界に残っているのは、勝俣州和だけ。草なぎを手離した欽ちゃんの読みは正解だったと言えます」(前出・アイドル誌記者)
モンスターアイドル・SMAPの誕生に、欽ちゃんが大きく絡んでいたとは‥‥。
(北村ともこ)