9月21日放送の大泉洋主演「テレビ朝日開局65周年記念ドラマプレミアム『終りに見た街』」のラストシーンに対し「意味がわからなかった」という声が数多くあがっているようだ。
このドラマは「ふぞろいの林檎たち」(TBS系)を代表作に持つ脚本家の故・山田太一さんの同名小説が原作で、これまでに山田さん自身が1982年と2005年に脚本にしてドラマ化されてきたが、今回はクドカンこと宮藤官九郎が脚本を担当。令和6年にふさわしい内容に脚色されたドラマとして放送された。
テレビ朝日で売れない脚本家として働く主人公の田宮太一(大泉)は、ある日突然、家族や数名の知人らと1944年にタイムスリップ。令和6年で生きていた太一らは、戸惑いながらも終戦間近の昭和19年を生きていたが、太一は歴史にはないはずの空襲のような閃光に見舞われ意識を失う。意識が戻った太一の目に映ったのは、昭和19年にあるはずのない崩壊したビル群や折れ曲がった東京タワー。
太一はすぐそばに倒れていた男に「今は何年なんだ?」と問いかけるも、その男は「にせんにじゅう…」とだけ言って息を引き取る。太一もまた、残骸となった“終りの街”を見ながら息を引き取ってエンドとなった。原作小説は「SF小説」「歴史小説」とカテゴライズされているが、「クドカンが脚本」「タイムスリップもの」とくれば、多くの視聴者が今年1月期に放送された連ドラ「不適切にもほどがある!」(TBS系)を思い出したことだろう。
この「ふてほど」でいい味を出していた吉田羊は、「終りに見た街」でも主人公の妻・ひかりとして令和から昭和にタイムスリップし、生きることにたくましい女性を好演していた。昭和19年にタイムスリップした直後には、家の窓から外をのぞいた太一と息子が「ポツンと一軒家じゃん!」と、同局の人気バラエティ番組のタイトルを言ってはしゃぐシーンもあり、タイムスリップホームドラマとしてのほほんと見ていた人ほど、ラストシーンが恐ろしく、意味がわからなくなってしまったように思う。
きっと「戦争」とはそういうことなのだろう。突然これまでの当たり前がすべて消失してしまうのだ。「戦争は過去の出来事ではない」「現在は核戦争前の戦前ではないか」「平和の危うさと貴重性」など、言葉にすると軽い感じになってしまうが、誰もがこのドラマのラストシーンで受けた衝撃を忘れずに、自分は何ができるかを考える夜があってもいいと思う。
(森山いま)