中居正広の9000万円“解決金”トラブルに、フジテレビ社員が関与していたなどと一部週刊誌で報道されたことを巡り、1月17日午後、ついに港浩一社長が記者会見を開くことになった。
日本のテレビ局の在り方が、改めて問われている事態にも発展しそうだが、やはり、テレビ局を中心としたメディアの体質が問題視されたという意味で、思い出されるのは、旧ジャニーズ事務所(現・STARTO ENTERTAINMENT)の会見までの流れだ。創業者のジャニー喜多川氏(2019年に他界)が、長年にわたって未成年男子に性加害を繰り返していたことが明るみに出たのは、23年。英国BBCが踏み込んだ半年後の9月にようやく、藤島ジュリー景子社長(当時)、東山紀之が出席して会見を開いた。しかし、世の疑念や批判が増幅する結果に。翌10月、ジュリー氏が欠席して、井ノ原快彦(現・STARTO社取締役CMO、同社所属タレント)が加わり再び会見を開いたが、不穏な違和感の完全払拭には至らなかった。
そして今回、“加害者”として騒動の中心にいる中居はジャニーズ出身。1986年に入所してジャニーズJr.(現ジュニア)、スケートボーイズを経てSMAPとしてトップアイドルになるまでは、ジャニー氏が手塩にかけて育てた。その恩を体現するように、ジャニー氏が逝去した翌20年に、34年間も所属したジャニーズを去っている。
「中居さんは自他ともに認める超ファザコンなんですよ。もし最愛の父である正志(享年79歳)さんが15年2月に亡くならなければ、そして、もしジャニーさんが生きていれば、今回のようなトラブルを起こし、芸能人生を絶たれることはなかったはず」(ベテラン芸能記者)
10代の中居のトークスキルを最初に見いだしたのは、ジャニー氏だった。弱冠16歳の頃から、先輩でスーパーアイドルだった光GENJIのコンサートのステージに立たされて、前説をさせられた。およそ15分前、1人で立った大舞台。その台本を公演ごとに書いてくれたのがジャニー氏だ。
中居の才覚は、20代でしっかり花開いた。数々の番組でメインMCを務め、1人で複数名の大物芸能人を仕切れるまでになった。「NHK紅白歌合戦」の白組司会を25歳で務め、男性司会者としては歴代最年少記録を保持。紅組と白組の司会を合わせて計6度も務めたのは、偉業に値する。
歌が得意ではない中居のリズム感を養わせるために、マンツーマンで付きあったのもジャニー氏だ。ジャニー氏はカスタネットを手にして、音の合間に「YOU」と合図を送るも、中居の成長はイマイチ。トークという才能を伸ばすきっかけになったかもしれない。
「個人事務所『のんびりなかい』の会社登録をしたのは、2000年の2月19日。正志さんの命日でした。独立発表記者会見は2月21日に行ないましたが、その席ではジャニーさんの遺骨をポケットに忍ばせて臨んでいました。滝沢秀明さんに分けてもらった骨だったそうです」(前出・ベテラン芸能記者)
もちろんジャニー氏の行ってきた性加害は決して許されるべきことではない。それでも、正志さんとジャニー氏という“2人の父”が存命なら、転落人生を歩まなかった可能性を否定できない…という思いを抱かざるを得ない。
(北村ともこ)