グループの総レギュラー本数は、ジャニーズで1番。6人体制になっても、関ジャニ∞は絶好調だ。渋谷すばるが芸能活動を終えてもなお、メンバーの誰かしらがほぼ毎日、テレビやラジオに出ている状況をキープしている。
今では超がつくほどの売れっ子だが、04年にようやく歌手デビューした時、彼らの扱いは売れないお笑い芸人のようで、惨憺たるものだった。
「デビューシングルは、地元・関西で先行発売された演歌の『浪花いろは節』。17年ぶりにオリコンの週間売り上げランキングで、演歌が首位を獲得するという記録を打ち立てましたが、この制作過程はひどいもの。ミュージックビデオは、床と壁が一面真っ白のセットだけ。冷蔵庫に入っていた飲みものをメンバーが取ろうとしたら、『ストップ! 腐ってるから』といわれたそうです」(アイドル誌ライター)
あるステージではスタッフに凡ミスをかまされている。ドラム担当の大倉忠義はこの曲では太鼓を担当。舞台袖から大きな太鼓が出てきて、大倉が華麗なバチさばきを見せる演出があった。ところがスタッフがバチを置き忘れてしまったのだ。大倉は空手の正拳突きを披露してごまかすしかなかった。他のジャニーズアイドルでは考えられない出来事だ。
「セカンドシングル『大阪レイニーブルース』も酷かった。モチーフは同じく関西。演歌から一転してブルースになったのはいいが、スタッフは相変わらず雑。メンバー8人(当時)のうち、ミュージックビデオ撮影に参加したのはわずか4人。『メンバーが集まらない』という信じられない理由から。撮影も晴天の大阪の街を、傘をさして歩く意味不明なものでした」(前出・アイドル誌ライター)
デビューの発表記者会見もお粗末だった。会場は当時所属していたレコード会社・テイチクエンタテインメントが入っているビルの屋上。後輩グループのNEWSが高級で知られる新高輪プリンスホテル(現・グランドプリンスホテル新高輪)の飛天の間だったことを考えれば、雲泥の差だ。
そんな関ジャニも、今年のデビュー日(9月22日)と翌23日は、台湾・台北アリーナでおよそ3万人を動員するメモリアルライブを開催する。海外でアリーナクラスの単独ライブを開けるまでになった関ジャニ。この大躍進に喜びを噛みしめているのは、ほかでもない、メンバーたち本人だろう。
(北村ともこ)