18日にSMAPのメンバー5人全員が生放送で“謝罪”したことで“分裂回避”となり、騒動は収束に向かうと思われたが、いまだ今回の経緯については様々な憶測が飛び交っている。なかでも、キーマンとなった木村拓哉は「好感度急落」「リーダー交代か?」などの報道もあり、すっかり“悪者”になってしまった。
だが、なぜ木村1人がジャニーズ残留を当初から決めていたのだろうか? 芸能ジャーナリストは「木村はジャニーズからの独立を画策したことのある唯一のメンバーだから」と言ってこう続ける。
「木村は1996年に初めて写真集を出すのですが、この時に事務所と揉めています。当時の木村は、ドラマ『ロングバケーション』(フジテレビ系)で瞬間最高視聴率43.8%を記録するなど絶大な人気を得ていました。それなのにギャラが少ないと木村の父親が事務所にクレームをつけたんです。その時期がちょうどジャニーズ事務所との契約更新時期と重なったため、木村サイドは弁護士を通じて更新に待ったをかけたんです」
もちろん、この木村の行動は“独立”を前提にしていたという。
「そこで事務所はギャラのアップに応じ、事務所ノータッチで木村の父親の会社から写真集も出版させることを了承、独立を阻止しました。しかし、この時のやり取りのなかで、木村は“芸能界の掟”をまざまざと見せつけられたはずです」(前出・芸能ジャーナリスト)
木村はそんな経験があったからこそ、事務所を辞めようとしていたメンバー4人の引き留めに奔走したのだろう。
この決断が“吉”と出るか“凶”と出るかは、今後のSMAPメンバーの1人1人にかかっていることは言うまでもない。
(李井杏子)