ファッションデザイナーの山本寛斎さんが7月21日、急性骨髄性白血病で逝去。複数のメディアが7月27日、伝えた。76歳だった。
山本さんは1967年、若手の登竜門の「装苑賞」を受賞。71年、ロンドンで日本人初となるファッションショーを開催し、歌舞伎に着想を得たデザインや演出が大絶賛された。74年から92年にかけてはパリ、ニューヨーク、東京コレクションにて、数々の前衛的な作品を発表。世界的ロックスターであるデヴィッド・ボウイのステージ衣装も手がけた。
そんな山本さんには、年の離れた異母兄弟がいた。俳優の伊勢谷友介だ。12年10月7日放送の対談番組「アシタスイッチ」(TBS系)に山本さんと伊勢谷が出演。父親は同じだが、32歳も年が離れた異母兄弟ということが明かされ、反響を呼んだ。
7月27日更新のインスタグラムで伊勢谷は、山本さんが永眠したことを報告。「世界基準でやりたい様にやる」という山本さんの姿勢に感銘を受けたという伊勢谷は、社会貢献に根ざしたビジネスと俳優業を兼業する自身のメンタリティを支えてくれたと、感謝の言葉を述べた。
「実は、件の対談番組では山本さんはマルチに活躍する伊勢谷に対して、俳優1本でなぜやらないのかと迫った場面がありました。ファッションの分野で世界的な名声を手にした山本さんだけに、伊勢谷にも俳優業のみで勝負して世界的に有名になってほしかったのかもしれません。でも、12年3月7日の山本さんのブログでは、『彼は英語も堪能ですし、これから世界に出て、スターになれる人物だと、その可能性を強く感じています』と褒め称えています。やはり、弟のことがかわいく、信頼している証拠でしょう」(芸能記者)
山本さんを超えることが、伊勢谷にとっては“兄孝行”に違いない。
(石田英明)